「無信不立(信無くば立たず)」。この言葉は、政治は民衆、国民の信頼なくして成り立たないという民主政治の根幹を意味している。この「無信不立」を掲げた政治家が私たち明治大学雄弁部出身の三木武夫(1907-1988)である。

三木武夫と明治大学雄弁部

まず三木の経歴を振り返る。三木は1907年に徳島県板野郡御所村に生まれる。その後、1913年に御所村立尋常高等小学校に進学した。1920年には徳島商業学校に入学し、弁論部のキャプテンとして活躍した。そして1926年に明治大学専門部商科に入学すると同時に、明治大学雄弁部に入部した。三木は、専門部商科を卒業した後、明治大学法学部へ再入学する。この時、三木はアメリカの大学へ留学し、帰国後に明治大学法学部に復学している。

そして1937年、卒業と同時に第20回衆議院議員総選挙に初出馬し、初当選を果たした。当選後は逓信大臣をはじめ運輸大臣、通産大臣、外務大臣、副総理や自民党幹事長などを歴任し、1974年に内閣総理大臣に就任する。1987年には、衆議院で在職50年の表彰を受けた。そのため衆議院正面玄関には三木の胸像が設置されている。

三木が雄弁部に入部した背景には3つの理由が存在する[i]。それは、第1にそれまでも弁論部所属してきたという経歴、第2に人前で話をできるようになるためという「性格上の克服」、第3に後に徳島市長を務める長尾新九郎という「先輩との出会い」である[ii]

長尾は、三木が戦前、衆議院議員総選挙に出馬する際も三木を支援した[iii]。三木にとって長尾との出会いは、雄弁部入部への契機であったと同時に、その後、政界へ出馬する三木にとっても至極重要な出会いだった。こうした雄弁部での同期、先輩、OBやOG、後輩との出会いは、今なお雄弁部員の「財産」となっている。

特に、長尾が雄弁部の幹事に就任してから雄弁部では「組織的な地方遊説」が開催されることになり、三木も長尾らと共に「中部、近畿、四国」で遊説を実施している[iv]。その後も三木は「必然性に立てる新文化確立の急務」と題した演説を日本各地で実施するなど遊説、弁論に力を入れていた[v]。この「必然性に立てる新文化確立の急務」では、「民衆政治」の確立を説いた。まさに三木は大衆に語りかけ、説得活動に励んだのである。政治家としての三木が常に国民を意識し、国民の政治に対する信頼の失墜を恐れていたことを考えると、民主政治の根幹である他者を説得する性質を持つ弁論は三木にとって最大の武器だったといえよう。

また、三木は雄弁部内だけでなく、他大学との交流にも力を入れた。1928年、三木は「関東三九の大学弁論部による、東部各大学学生雄弁連盟結成の呼びかけ人の一人」になったという[vi]こうした他大学の弁論部との交流は21世紀となった今なお学生弁論界では続いている。

その後、雄弁部は「朝鮮遊説」や「アメリカ遊説」を実施し、1929年に三木は渡航費を得るために「万朝報社の海外特派記者」という肩書を持ち、長尾と共にアメリカで遊説を行った[vii]。この遊説の間、三木は「政治を透して観たる日本」という演説を実施した[viii]。アメリカでの遊説が終了した後、三木はドイツ、イタリア、フランスなどを歴訪したという[ix]。ファシズムの台頭を目にした三木は世界の中の日本を意識したといえよう。

帰国後、三木は留学のために再度、渡米する。そして4年間の留学が終了し、1937年、帰国し復学した三木は3月に明大を卒業し、4月に行われた第20回衆議院議員総選挙で初当選を果たしたのである。

民主主義の本質は決して多数決原理ではない。それは、意見や利害が異なる他者との議論や説得、妥協こそが本質である。あくまで多数決は最終手段である。民主主義においては相手との意見対立が続いていたとしても決して説得活動を放棄してはならない。まさに民主主義には他者との合意形成、時に妥協という不断の努力が欠かせないのである。その説得のための手段こそが弁論だといえよう。雄弁部は文字通りその弁論をする場所であると同時に、弁論を通して「説得とは何か」「他者とは何か」を考えさせてくれる場所でもある。

その点、戦後日本政治において明治大学雄弁部出身の三木が台頭できた背景の1つには、雄弁部で鍛えた弁論や説得術が存在しているといえよう。


[i] 鈴木秀幸「三木武夫の修学時代」小西德應編『三木武夫研究』(日本経済評論社、2011年)108~109頁。

[ii] 同上。

[iii] 岩野美代治著・竹内桂編『三木武夫秘書回顧録 三角大福中時代を語る』(吉田書店、2017年)340頁。

[iv]竹内桂「明治大学時代の三木武夫」『法政論叢』53巻1号2017年、1〜19頁。

[v] 渡辺隆喜「明治大学雄弁部史序説」明治大学雄弁部創立一二〇周年記念史編纂委員会編『明治大学雄弁部創立一二〇周年記念史「和而不同」』(明治大学雄弁部OB会、2010年)96頁。

[vi] 前掲、鈴木「三木武夫の修学時代」111頁。

[vii] 前掲、渡辺「明治大学雄弁部史序説」明治大学雄弁部創立一二〇周年記念史編纂委員会編『明治大学雄弁部創立一二〇周年記念史「和而不同」』114頁。

[viii] 同上、115頁。

[ix] 前掲、鈴木「三木武夫の修学時代」116頁。