明治大学 雄弁部 部歌

一、聖鐘聴くや駿台の

歴史が薫る縁(ゆかり)の地

万感胸臆(むね)に抱きつつ

集いて来たる益荒男(ますらお)が

万(よろず)が人の倖(さち)を得ん

おゝその名は駿台健児

吾等が雄弁部

二、不二の峻嶺(みね)まで青雲を

心の幅は海に似て

一度(たび)起(た)てば鮮血が

飛剣(ひけん)となって闘わん

真理(まこと)に生きる悳(とく)の人

おゝその名は駿台健児

吾等が雄弁部

三、日輪仰ぎ希望在り

実(げ)に博愛は月魄(つき)に在り

吾等は日頃慈(いつく)しみ

進取の気質培(つちか)わん

自由の庇護者吾此処に

おゝその名は駿台健児

吾等が雄弁部

 

口調練習文

(「駿台雄辯」創立八十周年記念号より)

一、いろはにほへとちりぬるを わかよたれそつねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせず。

二、我々日本人は近い過去において政治に無関心であったが為に如何に独善と欺瞞都に満ちた暗黒の道を歩まされたかと言うことを悲惨な体験を通じて良く知っているのであります。

三、そもそも雄弁の古き歴史をたずぬれば古代ギリシャにおけるデモスネスの如きを追想することが出来るのであります。

四、いずれの時代にも現状を維持しようとする支配勢力は真実を知られ、真実を語られることを恐れ、真実に基づく批判を嫌うのであります。

五、”ペンは剣よりも強し”だがペンは、ペンの生きる社会であってこそはじめて剣よりも強いのであります。

六、我が明治大学雄弁部は、雄弁道の研鑽練磨を通じてここに人間の陶冶に向かって邁進せんとするものであります。

七、”戦争か平和か”明暗のいずれの道を歩むべきか、日本はまさにその岐路に立っているのであります。そしてそれは、二十世紀後半の歴史を形成すべき、我々青年にかせられた大きな課題なのであります。

八、そもそも雄弁の偉大なることは、古代ギリシャのデモスネスの如きを追想することが出来るのであります。当時、民主主義の国家としてのギリシャを完成せしめたものは実に言論の自由に基づく、彼らの雄弁術に負うところが極めて大きかったのであります。

ローマ時代における一世の英傑シーザーを暗殺したるブルータスがギリシャの街頭に立って訴えたる時、彼の大雄弁に魅せられたる聴衆はしばし歓呼の声をあげ、ブルータスのシーザーを暗殺したる合法性を肯定したのであります。

その瞬間、立ち上がったアントニオがシーザーの偉業をたたえつつ、彼の暗殺行為を糾弾したる時、彼の至誠あふれる希世の大雄弁はたちまちにしてローマ市民の考え方を一変し、ついに、ブルータスを倒すの拳にいでしめたのであります。雄弁は至誠が奔騰する時、さんぜんとして、その光を放つものであります。

従って、単に口舌の雄を持ってしては神に人を感動せしめることは出来えないのであります。