このページを閉じる
演題 「罪の名は。」

弁士 小野竜大(法4)

「なんやお前ら,どこ見とるんじゃ!」
真っ黒な背広に身を包んだ男たちが,周囲の客を威嚇しながら,あなたのアルバイト先の居酒 屋にやってきました。 男たちは,店の奥にある個室に陣取り,緊迫した抗争事件についての相談を交わします。
そん な時あなたは,彼らに「出て行け」と言えますか?いえ,あなたは,そう言わなければなりませ ん。
東京都の暴排条例では,暴力団の団体が個室での会合を開いた場合,「暴力団への利益供 与」をしたとして,その店側が摘発される可能性があるからです。
しかし実際に,彼らを声高に追放できる人が,一体どれほどいるのでしょうか。
店先の「暴力 団追放」のステッカーが,虚しく光ります。
一時期,私は任侠映画に没頭しました。「仁義なき戦い」での菅原文太の姿は男らしさそのも のでした。
強きをくじき,弱きを助ける任侠道に,私は密かに憧れを抱いていたのです。ところ が,現実の世界では違うようです。
暴力団は今,窮地に立たされています。
1992年に施行された暴対法は今日までに5回の改正を 数え,2011年には各地方自治体による暴排条例が全国で足並みを揃えました。
暴力団の資金獲得 活動は著しく困難を極め,経済的に逼迫しています。
これらの規制や継続的な取り締まりにより,過去10年間で暴力団の構成員の数はおよそ2分の1 にまで減少しました。
暴対法万歳!これでヤクザもそのうち壊滅するでしょう! しかし実際は,暴力団は壊滅の方向へと向かっているわけではありません。
彼らは次第にマフィ ア化への道を進み始めました。
ここで言うマフィア化とは,集団の地下組織化,匿名化を指し, 警察当局も集団に関する断片的な情報しか有さない状況のことを指します。
一方,闇社会では半グレ集団が勢力を伸ばしています。
半グレとは,主に暴走族OBや不良外国 人によって結成された集団で,その多くは暴力団と距離を置き,独自に振り込め詐欺やヤミ金など の資金獲得活動を行っています。半グレには暴対法の適用ができず,立件が困難です。
かつて,暴力団は必要悪でした。
裏社会の顔役として,権力の及ばない影の部分の監視役を担 い,地域の不良少年や被差別市民の受け皿として機能していました。
戦後の混乱期の中,低下し た政府の治安維持能力を補うために,警察は彼らを例外的に黙認していたのです。
警察や市民も彼 らを利用し,良くも悪くも持ちつ持たれつの「共存」関係が存在しました。
暴力団と警察と市民 とが上手く住み分けていた時代には,やはり彼らは必要悪であったのです。
しかし,一般市民に牙を剥くような今日の暴力団にはもはや,義理も人情も,仁義もありませ ん。
社会構造が変化し,暴力団自身も変化しつつある今日,この日本列島の影の部分を作り出し ているのは他ならぬ暴力団なのです。
今や彼らは必要悪ではありません。
ところが,国際社会や市民からの要望によって制定された暴対法は,実に中途半端な規制であっ たと評価せざるを得ません。
本来は,法の制定によって,暴力団に対する国家の理念を,「共存」から「撲滅」へと転換す べきでした。
すなわち,国家が暴力団の存在を否定した上で,具体的な暴力団の排除を国家の事 業として取り組むべきだったのです。
法律とは,一見無味乾燥な文章の羅列であっても,その背景には国家の理念が横たわっている ものです。
その根本たる理念を変えずして,効果的な政策や立法は不可能です。
確かに暴対法によって,日本の暴力団に対する規制は半歩,前進しました。
しかし,結果とし てもたらされたのが,暴力団のマフィア化と,市民の犠牲です。
暴対法の過ちとは,その規制手段 ではなく,根本的な理念の変換を怠ったことにこそあります。
暴対法や暴排条例が,「共存」という理念に基づいているにもかかわらず,具体的な手段に関 しては「撲滅」を要求したために,既にこの制度には「無理」が生じています。
その「無理」とは,第一に,暴対法が,暴力団の存在を認めた上で,みかじめ料の徴収といっ た具体的な行為を禁止するという,間接的な規制をとっていることです。
「暴対法の制定目的は暴 力団を壊滅させることではなく,暴力団員の行う民事介入暴力行為について行政的規制を行うこ とにある。」と,過去に京都地裁は判示しています。
第二に,暴力団排除の前線に立っているのが,警察や国家ではなく私たち市民であるという点 です。
各自治体の暴排条例では,暴力団排除活動は自治体及び市民の責務であると定められていま す。
多少の違いこそありますが,「市民対暴力団」の構図によって暴力団を社会的に孤立させる, という姿勢はどの地域の条例でも変わりません。
条例に違反した事業者は勧告や企業名公表,罰 金等の制裁を受け,社会的信用が失墜します。
現役の暴力団幹部の話によると,組織の弱体化に 直接影響したのは,暴対法よりもむしろこの暴排条例であったと言います。
一度整理します。まず暴対法によって暴力団の存在を認めつつ,各構成員個人の不当な行為を 規制し,暴排条例により,市民との関係を断絶し,実質的に暴力団の存在を否定する。
今日の法 規制は,こうした「無理」のある二重構造をもっています。
これらの規制において,「市民対暴力団」という構造により,実質的に暴力団排除の前面に立 たされているのは私たち市民です。
この結果,暴力団排除運動を行っていた会社役員や元警部が銃 撃されるなど,市民に対する発砲事件が相次いで発生しています。
警察発表によると,2015年度 における暴力団が関与した発砲事件8件のうち,暴力団同士の抗争事件によるものは,ゼロです。
「ヤクザがいなくなれば闇社会の目付役がいなくなり,治安が悪化する」という批判もありま す。
しかし,そもそも「ヤクザがいなければ治安を維持できない」という概念が,法治国家として 根本から間違っていることを認識しなければなりません。
本来,外交上の安全保障と国内の治安の維持は,国家が持つべき最小限度の行政機能であった はずです。
すなわち,「国家対暴力団」の対立構造こそが,本来あるべき姿なのです。
現在の「市 民対暴力団」という構造では,暴力団排除の主体が,国家と市民とで,入れ替わってしまってい るのです。
今,私たちに残された選択肢は,二つしかありません。
ひとつは,江戸時代のように,暴力団 を「岡っ引き」として警察の管理下に置く方法です。
しかし,暴力団の存在を黙認し,彼らに十手 を与えることは,現代法治国家としてあまりにも不適切であり,すでに暴力団が警察との交流を 阻んでいる以上,もはや後戻りはできません。
すなわち,実質的には選ぶべき道はひとつしかあ りません。闇社会を,国家が,徹底的に規制するほかないのです。
そこで,法規制の姿勢をもう一度見直し,情勢の変化に合わせ,暴力団や半グレなどを包括し た,「組織犯罪集団」全体に対し,国家が対応できる制度を作り直さなければなりません。
私は そのひとつの提案として,新たに「組織犯罪集団対策法」の立法を提言いたします。
この法律では,一定の基準を満たした場合,現行の暴対法のように,その組織犯罪集団を「指 定」することができるものとします。
指定された集団が,実質的に,違法行為をもって構成員の生 計の維持を行っていることが確認できた場合や,他の集団との抗争状態への突入が確認された場 合には,当該集団の解散命令を出すことができるものとします。
これに加えて,各構成員個人の行為に対する規制を行います。
現行の暴対法では禁止されてい る行為は27種類しかなく,行為規制が不十分でした。
そこで,現在は暴排条例などによって定め られている行為なども,法律として規制できるよう行為類型を増加します。
直接的な規制として組織犯罪集団の存在そのものを立件しうる点,間接的な規制として各構成 員の行為に対する規制を強化する点,これら2方向の規制を強化することにより,集団の形態にと らわれず,「国家対組織犯罪集団」という,本来あるべき対立の構造を取り戻すことができます。
いかなる法制度を整備しようと,どれほど取締りを強化しようと,犯罪者や組織犯罪集団がゼ ロになるわけではありません。
しかし,組織犯罪集団そのものを違法化することによって初めて, 次に続く具体的な法整備が可能となり,本来国家としてあるべき姿を取り戻すことができるので す。
この理念の転換は,日本が法治国家としてのあるべき姿を取り戻すための,土台となる第一歩 となります。
現在の対立構造を,あるべき対立構造に作り直す。そのためには,今までと同じ理念をもって いては対応できません。
今日私は,その一つの具体案を提示させていただきました。
その罪の名 は,組織犯罪集団対策法。日本が,法治国家としてのあるべき姿を取り戻すことを,私は期待して います。
以上,ご静聴に感謝いたします。



▲ページトップへ
このページを閉じる