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演題 「混血の島」

弁士 前原玄(法2)

【導入】
 2012年。わたしが台湾に移り住んでから、三年目になっていた。
 高校にも慣れてきた、中国語もあらかたわかるようになった、そもそもわたしは日台のハーフで、半分は台湾人なのだ…
 そんなことから、「自分は台湾人としてもやっていける」そんな自信をつけ始めたころであった。
 しかし、
「尖閣諸島は台湾のものだ!我々に返せ!」
 その年の九月、同級生に投げつけられたその言葉が、わたしに赤黒い恐怖と不安を覚えさせた。どんなに環境になじもうとも、対立が起きた時には、仲間として扱ってもらえない。その現実に、目の前は真っ暗になった。
 2012年に起きた日本による尖閣国有化運動と、中国の反対デモは、両者の間に深い溝を作った。尖閣をめぐって、日本と中国・台湾が対立する。この構造のなかで、わたしの立場は、夫婦げんかの間に立たされた子どもに似ていた。
 父なる国と、母なる国その間に立たされ、怒鳴り声が響くたびに、何をしていいのかわからず、おどおどしていた子ども…それがわたしであった。
「混血の島」この弁論は、そんな子どもが今、あえて両親の間に立ち、その立場から主張をする…そんな意味を持った弁論である。



【現状分析】
 ここで尖閣をめぐる現状について見ていく。尖閣問題とは何であるか。
 結論からいうと、尖閣問題とは、国際法の適用から起きた対立である。
 ポツダム宣言では、戦後「日本が問題なく主権を保てる領土は北海道・本州・四国・九州のみに限られる」とし、それ以外の島に関しては連合国が決定するものとしている。
 アメリカは尖閣の領有権に関しては中立の立場である。そのため中国・台湾はこのポツダム宣言に基づいて尖閣の領有を主張している。
 対して日本は、これらの問題は沖縄返還協定の時点で解決済みの問題であり、それ覆すことはできないとして、領有を正当化している。
 そのため、結論として、尖閣問題とは、国際法をどのように適用するかによって生じている対立であるといえる。



【深刻性】
 この尖閣問題は、最悪の場合、武力衝突も起こりかねない危険な問題であり、近年さらにその危険性を増している。
 中国は近年、尖閣に関しては「領有のための実績をつくる」という段階で政策を行っている。中国船籍による尖閣近海の立ち入りが続けられているのはそのためである。
 それのみならず、2012年12月には初めて中国籍の航空機が尖閣付近の上空に侵入し、自衛隊の戦闘機が緊急発進する事件が起きた。この年、同様の事件が相次いで発生し、確認されているだけでも前年のおよそ二倍、300回に及ぶ緊急発進が自衛隊によってなされている。
 国際法上、領空侵犯は領海への立ち入りに比べてはるかに重い侵害である。
 これに対して日本は、「自衛力の強化」を政策として掲げるようになった。自衛隊や海上保安庁の船を沖縄に集中配備し、日米同盟の強化を図る。というような政策をとらざるを得なくなった。
 安全保障において「最悪の事態を避けたい」という思いから、他国の動向に対し疑心暗鬼になってしまう。
 一方の国が自衛力拡大を行うと、もう一方の国に威圧感を与えてしまう。
 その威圧感からもう一方も自衛力拡大を行うと、もとの国がまた威圧感を感じる、こうして生じるのが安全保障のジレンマである。
 このジレンマに陥ると、両者の関係は極めて不安定になりやすく、小さなきっかけから武力衝突に至ってしまうのである。
 中国が威嚇し、日本が自衛力の強化を図る、現状の構造はまさしく、この安全保障のジレンマである。そのため、尖閣問題は最悪の場合、武力衝突に至る可能性があり、近年、より一層危険性が高まっている問題なのである。



【原因分析】
 ではなぜ、尖閣近海でこのようなジレンマに陥ってしまうのだろうか。
 それは尖閣近海に共通のルールがなく、単に力のみによって管理されているからである。
 そもそも、安全保障のジレンマは、相手からの脅威から生じる。その根底にあるのは物事は力によってのみ解決されるとする、リアリズムである。尖閣近海はルールがないことによって、徹底したリアリズムの世界となっているのである。
 中国・台湾は尖閣近海において日本の国内法を守る意思はない。日本の国内法を守ることはすなわち、日本の実効支配を認めることになるからである。
 一方の日本も実効支配はしているとしつつも、尖閣に上陸した中国の漁師に対し、国内法にのっとり、逮捕・起訴することはせず、強制送還という超法規的措置をとっている。実効支配とは国内法にのっとって支配されている状態のことであり、この点で、日本の実効支配は完全とは言えない。
 2010年に一度、尖閣に接近した漁師を逮捕した事例があったが、結局、中国の強い抗議により、釈放を余儀なくされた、つまり、尖閣近海では法律よりも国家間のパワーバランスが重視される、リアリズムが支配し、それが恐れと疑いを生み出すために、安全保障のジレンマが生じたのである。



【解決策】
 では、尖閣問題はどのように解決されるべきなのであろうか。
 わたしは、領有権そのものの価値をなくしていくことが解決策であると考えている。領有権に付随する様々な権利を具体的に共有することによって、あえてその無人島を領有するよりも、現状を維持していくほうが国益にかなう、としていくことで、領有権で争うことの意味をなくしていくのである。
 そのためには、どうしても武力衝突につながりかねない、安全保障のジレンマから脱出しなければならない。
 このジレンマから脱出する方法。それは、「互いに信頼すること」である。
 (その通り。)だが、そもそも互いに信頼できないから、疑心暗鬼となってしまうのである。
 わたしはここで二段階の解決策を提示する。
 段階的に行うことによって、揺るぎない信頼関係を構築することを目的とする。

 政策の一段階目は、尖閣近海の開発協定と漁業協定の締結である。
 開発協定は、三ヵ国とも、尖閣諸島に上陸しない・調査をしない・施設を作らないことを原則として締結する。
 漁業協定は、三ヵ国の漁業量を具体的に定め、その範囲内での漁業を原則自由とするものである。
 この中で、条約違反やトラブルが起きた際の対処法も条約の中で新たに定め、これを施行するために、独立した行政組織を設ける。
 なお、これらの協定を定める際に、島の領有権をめぐる議論は行わないものとする。
 開発協定に関しては、今まで暗黙の了解としてそれとなく守られてきたものであり、現状を大きく変える条約ではない。
 漁業協定に関しても、すでに日本と台湾の間には同様の協定があり、したがって、いずれも締結にあたり解決しなければならない課題は比較的少ない。
 この協定が締結され、守られてきた実績と信頼関係が生まれれば二点目の政策へ移行する。

 政策の二段階目は、「尖閣近海の公船立ち入りに関する協定」の締結である。
 この協定は、武力衝突の可能性を物理的に排除するための協定である。
 尖閣近海の警備に必要な公的な船舶の数を決定し、関係国はそれ以上の海上保安船や軍艦など公的な船の立ち入りは、許可を必要とする。
 この協定は尖閣近海において、中台の公的な船が自由に立ち入っているにも関わらずそれを取り締まれない現状を変えるものである。よって、いずれの国にも譲歩を強いる。
 しかし、武力衝突を避けるためにはどうしても必要な協定なのである。



【結び】
 あえて、三ヵ国の間に立ち、わたしは主張する。
 いずれの国にとっても、対立を避けることが真に国益にかなうものである、と。
 領土紛争から、互いに自衛力拡大をせざるを得ず、そのために予算も人員も割かなければならない、この状況が国益にかなうとはとても言えない。
 むしろ、無人島の対立を克服し、経済・文化でともに発展していくことこそが、真に追い求めるべき国益である。
 これが、三者の立場から、わたしが下した結論である。

 この弁論は終わらない。
 尖閣の対立がある限り、わたしは解決を訴え続ける。
 また、中国語を母語とする人たちに向け、中国語に翻訳し、問題解決を主張し続けるだろう。
 それが弁士として、わたしが果たすべき使命である。

 ご傾聴ありがとうございました。


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