【導入】
先日、私はある女性の話を聞いた。
「結婚も出産もしたかった、年齢相応の生き方をもっとしたかったんです。」
続けて彼女はこう言う。
「本当に自分の時間はなくて、毎日のすべてが、おばあちゃんの食事や排せつのためにあるという感じで、自分の存在の意味が全く分からなくなるんです。」
彼女は祖母の介護のために仕事をやめた。特別養護老人ホームに空きはなく、頼れるものは何もない。
彼女はある日、その気持ちが爆発し、認知症のため彼女の名前を何度も何度も呼ぶ祖母の首を衝動的に絞めてしまう。
苦しむ祖母の表情を見て、我に返り、激しく後悔するのである。
最後に彼女はこう言った。
「祖母にはすごく長生きしてほしいのに、でも、いなければいいのにって思ってしまうところが苦しい。それが今でも本当に、苦しい。」
私はこの話を聞いた時に、どうしようもない思いに打ちひしがれ、彼女にかける言葉は、思いつかなかった。
人は必ず老い衰える。
家族を愛する気持ちが、必ずやってくる老いによって、憎しみに代わる。
真面目に働き、社会を支えてきた人々が、必ずやってくる老いによって、家族の絆まで壊されてしまう。
そんな不条理を許してもよいのか?
いや、断じて許してはならない。
そして、超高齢化社会の入り口に立つ我々は、将来さらなる介護の危機に直面することは想像に難くはない。
本弁論は、決して逃れられない老いによって介護を必要としながらも、それを受けられない。そんな不条理に苦しみを抱える家族を、少しでも多く救うための政策を提案するものである。
【現状分析】
我が国の介護保障は介護保険制度によって支えられている。介護保険制度とは、40歳以上の国民から月々徴収した保険料と公的な支出金によって、介護サービスを受ける際の負担を減らす制度である。言い換えれば、介護保険とは、介護を必要とする人の負担を、社会全体で背負っていくという制度なのである。
【問題点】
しかし、現在、日本の介護保障は大きな問題を抱えている。
それは、「介護難民の問題」である。
介護難民とは、介護が必要なのに施設でも自宅でも適切な介護サービスが受けられない高齢者のことを指す。現在、この介護難民の数が急増している。
厚生労働省の調査では、特別養護老人ホームに入居を希望しているにもかかわらず定員オーバーによって入居できない入居待ちの待機者は52万人存在する。この待機者の数は、たった五年で、約10万人も増加しているのである。
そして、介護難民の急激な増加の結果、その負担をすべて背負っている人たちがいる。それは、自宅で自ら介護をせざるを得なくなった被介護者の家族である。彼らは家族を介護するために離職を余儀なくされているのだ。厚生労働省の調査では、1年間で10万人以上の人が介護を理由に離職を余儀なくされているのである。
それに、介護を理由に離職をする人は40歳以上が8割以上を占めている。40歳以上で離職をした場合には、特殊な資格がない限り再就職が非常に困難となる。実際に40歳から50歳までで離職をした場合、7割近くの人がその後再就職できずにいる。
【原因分析】
介護難民を生み出す原因は何か。
それは、介護職員の不足である。
厚生労働省の調査では、介護職員の数は2025年には約30万人不足する見通しで、今後益々、介護業界における人手不足は深刻になる。
つまり、現状、急増し続ける介護ニーズに対して介護職員の数が追いついていないことがわかるのだ。
【職員不足の原因】
ではなぜ介護職員はこれほど不足するのか。
その最大の原因は圧倒的な賃金の低さである。
全労働者と比較すれば、重労働であるにも関わらず介護職員の平均賃金は非常に低いと言える。厚生労働省の調査では、一般労働者の平均年収400万円に対して、介護職員の賃金はその半分にも満たない。このような重労働に対する低賃金こそが、職員不足の最大の原因なのである。
実際に、介護職をやめた元職員へ行ったアンケート調査によれば、賃金や労働条件に対する不満を離職の原因に挙げた割合が最も多い。
この現状を受けて、政府は介護職員の処遇改善のために2009年からの3年間で介護報酬を4.2パーセント引きあげた。介護報酬とは、事業者が利用者に介護サービスを提供した際に、その対価として支払われる報酬でのことであり、事業所の経営や介護職員の給与に直結するものである。しかし、その後の介護職員に対する調査では、半数以上の人が介護報酬引き揚げに対して「十分とは思えない」という回答をしている。
というのも、政府はそれより過去に5.7パーセントの介護報酬マイナス改変を行っているのだ。つまり、2009年と2012年のプラス改変をかんがみても過去の分を取り戻しているとは言えないのである。
【政策】
このような介護職員の低賃金を改善し介護職員の増加を促すための政策を二点提案する。
一つ目は、介護報酬の増額
二つ目は、介護職員のキャリアアップ である。
先ず一点目の介護報酬の増額について説明する。
現在、介護保険を納めなければならないのは40歳になってからである。この納付開始年齢を30歳まで引き下げる。そして、それを財源として介護報酬をプラス改変する。現在政府が予定している介護への支出増額と合わせれば、介護職員の賃金を年間で数十万円アップさせることが出来る。その後も高所得者などからの介護保険料の徴収を段階的に強化していくことで、介護報酬のプラス改変を進める。この結果、介護職員の賃金を段階的に増加させることができるのである。
しかし、介護というものは必ずしも特別な技能を必要としないことから、介護報酬のみで賃金を上げることには限界がある。
そこで、二点目の介護職員のキャリアアップ制度が必要なのである。
キャリアアップの目標は准看護師とする。介護業務は看護と共通する点があるからだ。
そこで、この共通業務に関する教育課程を、介護福祉士の場合には免除する。こうすることで、介護福祉士を准看護師になりやすくし、介護職員から、介護業務よりも平均給与の高い看護業務へのキャリアアップの道筋ができる。
このように、看護業界への道筋を示すことで、介護職を志望するインセンティブを与えることが出来るのである。
【政策効果】
介護職員は、介護職に魅力を感じなくなって辞めていくわけではない。介護職を続けたいにもかかわらず、その賃金や労働条件の悪さから、辞めざるを得なくなってやめるのである。
介護職をやめた元職員に対するアンケートによれば、介護職を続けたいと思いながらも離職する職員の割合は、 78.8%であった。
つまり、労働条件の改善を行えば、介護職員は定着するはずなのである。
私の提案する二点の政策を実施すれば、介護職員の賃金は上がり、キャリアアップの道筋も立てやすくなる。この結果、職員を介護職に定着させ、新規に介護職を志す人を増やしていくことができる。高い志を持ちながらも介護職員をあきらめざるを得なかった人々の力を活用することが出来るのである。
【展望】
愛する家族の死を願ってしまうようなことは断じてあってはならない。
愛する家族から死を願われるようなことは断じてあってはならない。
彼女の両手は祖母の首を絞めるための両手などではなく、祖母を抱きしめ、愛を伝えるための、その両手なのだ。
介護サービスを必要とする家族が、今まで通り幸せな、平穏な日常を送れることを願って、本弁論を終了させていただきます。
ご清聴ありがとうございました。
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