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演題 「開かれた歴史教育」

弁士 勝田悠暉(文1)

【導入】
 「私に教科書が支配できたなら、次に、私は国家を支配するであろう」
 半世紀以上前、ヒトラーはこの言葉通りに国家を支配した。
 人類史上最大の戦争とも言われた第二次世界大戦。
 当時は日本やドイツおいて、教育は自国のナショナリズムを昂揚させる、いわば装置であった。
 軍国主義を掲げ、国家への絶対的忠誠を誓わせるという教育内容であった。

 1943 年、日本臣民は「鬼畜米英」と声高に叫び、当時敵性語とされていた英語を「高等教育から排除せよ!」と、時の内閣総理大臣、東条英機に要請したのだ。
 これが、教育に於いて一定の価値観のみを注ぎ続けた結果である。

 我々が自国や世界の歴史・文化などを知る為には、最も根本的であり、基本的なものがある。
 それこそ、歴史教育だ。
 何故ならば、歴史教育は、子どもが「歴史」というものに触れる、最初の機会と言っても過言ではないからだ。
 歴史教育の目的とは、生徒の発達段階に応じて、教育的に系統化された歴史的視点・概念・ 知識などを学習していく。その過程の中で、歴史的なものの見方・考え方を習得させることである。
 現在の日本の歴史教育は基本的に、生徒が小・中学校では日本史を、高等学校では日本史か世界史、或は両方を学ぶ機会を提供している。
 つまり、学校教育に於いて生徒は必然的に、歴史を学ぶのである。

 ここで、諸君らに問う!
 歴史教育が持つ、潜在的な問題とは何であろうか?
 そう。それは、教員による、歴史的価値観注入の問題である!
 歴史的価値観の注入とは、教師がとある一定の思想に基づいて、正しい・好ましいと考える史実や価値観のみを、生徒に教育することだ。


【現状分析・問題点】
 それでは、日本の歴史教育に於ける歴史的価値観注入の問題とはどのようなものか。
   実際に問題になった例を挙げよう。

 とある大分県の中学教員は、課題学習の中で、“先の大戦下の南京事件に於いて虐殺された犠牲者は30 万人である”という中国の教科書記述を用いて紹介をしていた。
 確かにそういった説もある。
 しかし、日本政府は「先の大戦に於いて、日本軍による殺害や略奪はあったということは否定できないが、被害者の具体的な人数については諸説があり、政府としてはどの人数が正しいかどうかを認定するのは困難である」と主張している。
 彼はこの点を全く踏まえていないのだ。将又最近では、被害者の人数は40 万人にも達しているともいう。
 その一方で、10 万人や 4 万人、或は虐殺の存在を否定するといった主張も有る。
 「南京事件」は史実に関して誠に、議論を巻き起こすような事件である。
 だからこそ、教員は慎重な姿勢で教育を施す必要があるのだ。

 次にとある教職員の教育内容を紹介する。
 彼の人権教育の内容に於いては、北朝鮮による日本人拉致事件や中華人民共和国によるチベット弾圧には触れない。
 また平和教育では、北朝鮮の核兵器問題や、中国の軍備拡張についても完全に無視されている。

 方や、とある教職員の授業では、「南京事件は存在しなかった!」と生徒に教育をした。
 その結果どうなったか。PTAが、この教員は不適切だとし、問題に発展したのである。

 このような授業形態は“閉ざされた歴史教育”と呼ばれる。
 故に、教育者として、このような方法は断じて、断じて教育に相応しくない!
 日本が民主主義社会である以上、多様な価値観の形成を保障する歴史教育が、無ければならない。
 私の理念は、日本の全ての教師が多様な視点・考え方を提示し、生徒が主体的に価値判断を下すことが出来る教育、即ち、“開かれた歴史教育” を実現すること。

 本弁論の目的は、日本の歴史教育の問題点を指摘し、その在り方を検討する、そして抜本的な改革を提言する。その第一歩である!

 歴史的価値観の注入はそれ自体が問題なのであるが、同時に一つの厄介な性質がある。
 結局のところ、一人の教員がどのような思想・それに基づいた価値観を有しているのか、といったことが教育現場という観点から見ても正確な判断が出来ないからである。
 歴史的価値観注入の問題が発覚し、世間で問題視されるようになる過程は、生徒の保護者や PTA などが、教員の指導法に 問題があるとし、その結果、一部のメディアにより報道されているという現状である。
 つまり、報道される問題が全てではなく、実際に明るみに出ないというケースも十分に考えられるのである。
 先に述べた様々な事例に於いても、問題教師に対する世間の関心がとてつもなく、低い。
 一人でも、そういった教師が存在するということは、教育の理念に反するのだ!


【解決策】
 そこで私は、教員による歴史的価値観注入の問題を完全に断絶し、そして教育の理念に、確実に一歩でも近づく為に、日本政府に対して、抜本的な改革を提案する!
 政策は一点のみ!

 「教育水準委員会」の設置である。

 これは、文科省から完全に独立した第三者機関である。
 この委員会の役割は、教員に対する政策として、学校評価をメインとしている。
 この評価基準こそ、「多様な視点を教育する」ことである。
 そもそも、学校評価とは、現在の文部科学省が行っており、全国の小・中学校や高等学校の授業を当省の役人が視察することである。
 本政策の「教育水準委員会」は、文科省の学校評価と、制度上は変わらない。
 しかし、一つ違う点は、教育という現場に於ける、教員への監査がメインである。
 現在の文科省の学校評価は、授業計画や教育課程の経過などの教育プログラムにしか、焦点が当たっていない。
 「多様な視点を教育する」といった文言は、現行の学習指導要領にも書かれているが、法的拘束力については問題がある為、必ずしも教育の現場で徹底されていないのである。

 つまり、教員への監査を通してより確実に、評価基準に達していない問題教員を指導することが可能になるのである。
 そして、この「教育水準委員会」は仮にある教員がこの基準に達していなかった場合は、措置として3カ月の職業研修を行う。
 これは現在の東京都教職員センターにて、問題教員を評価基準に沿って、改善・指導をする。
 そして2度目に渡って基準に達しなかった教員は、分限処分として免職を行う。これは、教員という職業に対して、責任感と使命感を持たせるという意味で、妥当だと考える。
 このように全国一律の教育方針を定めることにより、教員に対して、視察と処分の二段階に渡って措置を加える必要があるのだ。

 この改革により、本来の教育の理念、即ち多様な視点を教育することが、確実に達成出来る!
 そして、粘り強く、この政策を実行し続ける。
 教員による歴史的価値観注入を断絶する事が出来る!
 私はそう、確信している。


【展望】
 我が国日本は、遠くない過去に於いて、一定の価値観を子どもに植え付けるという大罪を犯した。
 その結果は冒頭で述べた通りだ。
 しかしどうであろうか。
 戦後早70年が経過したが、そういった教育の在り方は現在に於いても確かに存在しているのだ。

 グローバル化した現代社会では、文字通り、多様な視点や価値観が重要視される。
 故に、国を支える歴史教育は、生徒に対して開かれなければならない。

 日本の未来を担っていく若者よ。
 鳥が空を飛ぶことができるのは何故であろうか。
 それは背中に二枚の翼があるからだ。
 人間も同じである!
 生徒が様々な価値観観や視点を吟味し、考察することこそ、現代に求められる歴史教育である。
 彼らが未来へ羽搏いていく為に、その背中には、左の翼・右の翼、その両方を備える必要があるのだ!

 御清聴ありがとうございました。



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