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演題 「正義の天秤を担うもの」

弁士 澁井健人(法1)

【導入】
 日本は民主主義国家ではない!
 「いきなり何を言い出すんだこの男は?」と皆さんはお思いでしょう。
 しかし、私は今一度この場で、「民主主義国家たるべき要件とは何か」ということについて問いかけたい!
 民主主義国家の成立要件とは、国家権力の過ちを、民意により、防げるかどうかにかかっています。
 しかし、国家三権の一翼を担う司法権力の過ち、すなわち司法判断の硬直化を現在防ぐことができていないと私は考える!
 本弁論では、司法判断のあるべき姿について申し述べていきます。


【定義・現状】
 まず、司法判断の硬直化ついて。
 これは司法権力が、制定法や自らの判決に固執し、それが誤りでも、責任を負わないことを指します。
 実際に、裁判官はそのたちばを手厚く保障され、たとえ冤罪判決を生み出しても、法的な責任を負う必要がないのです。
 立法・行政はもとより、経営者までも、起こした失敗は必ず責められるものです。


【問題点】
 では、司法判断が硬直化し、それを防げないことによる問題とは何でしょう。
 それは、再審請求における問題と国民審査における問題の二点です。

 まず、一点目の再審請求における問題点について。
 再審請求は、有罪とされた被告人が確定した裁判のやり直しを求めることです。
 しかし、この再審請求が、裁判所により幾度となく拒否されているのです。
 たとえば、冤罪の疑いが高い袴田事件に関して、約40年も再審請求が拒否されているのです。
 また、平成20年度の統計によれば、140件の再審請求のうち、実際の再審開始はわずか2件、実に1%という極めて低い開始率となっています。
 このように司法は自らの判決に固執しているのです。

 次に、二点目の国民審査の問題点について。
 国民審査とは、最高裁の裁判官に対して行われ、国民投票により過半数の不信任を受けた裁判官を罷免するものです。
 しかし、その中には冤罪事件を多数生み出した裁判官がいながらも罷免された者は未だ存在しないのです。
 これは、司法が自らの判断が誤っていても、責任を負わないことを意味します。
 以上2点の問題は司法判断の硬直化を防げず、今後もその硬直化が続くことを意味するのです。


【原因分析】
 ではなぜ、このような問題が発生しているのでしょうか。
 再審請求制度、国民審査のそれぞれを分析します。

 まず、一点目の再審請求について。
 司法が自らの判断に固執し、再審請求の開始率が1%という異常な低さになっている原因は、その条件の厳しさであります。
 刑事訴訟法第435条による、再審請求が認められる条件は、確定判決を覆し、無罪を立証できるだけの証拠の存在であり、これを満たすことが困難です。
 つまり、現在の条件では一度確定した有罪判決があまりに異常でも、逆転無罪を立証できる決定的な証拠がないと再審開始すらなされないのです。
 これは疑わしきは被告人の利益に、という刑事司法の大原則にも反し、不当に厳しくしていると言えます。

 二点目の、国民審査について。
 冤罪を生み出した裁判官でさえも、未だ罷免されず、自らの失敗に責任を負わない原因は、審査の形式にあります。
 国民審査は、投票用紙に記載された裁判官の欄に×印をつけ投票すると不信任、無記入で投票すると信任を表明したこととなります。
 この形式では、無記入票が、本当に裁判官を信任したものなのか、それとも国民が裁判官の実態について詳しく知らずに投票したものかが不明確です。
 また、昨年12月の調査では、国民審査で投票を行った人の実に二人に一人が「裁判官の実態についてよくわからず無記入で投票した」と答えています。
 このように無記入票が信任票として扱われるため、審査で現れる罷免率は非常に低く、実際昨年12月の国民審査では最も高い不信任率でも8%と、過半数には遠く及びません。
 つまり、民意を正確に汲み取れず情報も伝わっていない現在の国民審査は司法に責任を負わせることができていないのです。


【解決策】
 以上のことを踏まえ、私は、司法判断の硬直化に対する解決策を2点提示します。
 それは、再審請求制度の改変と国民審査の改変です。

 一点目の再審請求制度の改変について。
 再審請求の問題点は、1%という非常に低い再審開始率に表されるように、司法が自らの過ちを認めず、真相究明の機会が担保されないことでした。
 そこで、これを解決するために、私は再審請求の条件緩和を提唱します。
 具体的には、刑訴435条を改正し、確定された有罪判決に疑いがある場合も再審を行うと法的に認めます。
 これは、最高裁が白鳥事件の裁判の際に出した「白鳥決定」と呼ばれるものです。
 事実、この白鳥決定のもとで米谷事件、免田事件などで再審が開始され、無罪となっており、十分効果が見込めます。
 現在の再審請求の条件では、確定判決を覆し無罪を証明することはいわゆる「悪魔の証明」であり非常に困難ですが、白鳥決定で裁判の合理性を問う再審請求が認められれば、再審開始がなされるのです。
 この基準を、判例に留めず、日本において判例法よりも優先される成文法として法的拘束力を与え、再審の機会さえ認められない現状を打破できるのです。

 次に二点目の、国民審査の改変について。
 国民審査の問題点は、投票形式と情報伝達不足にありました。
 まず、投票形式においては、現在、実態の不明な事実上の信任票が大量に発生しているという問題を解決するため、私は、国民審査の投票の際、信任の場合○印を、不信任の場合には×印をつけ投票することに加え、無記入票は棄権票とし、過半数の×印を受けた裁判官を罷免とします。
 投票形式の変更で、信任・不信任の票が明確化され、曖昧な無記入票の問題が解決します。
 また、形式だけを変えても、国民の関心がなければ意味はなく、裁判官の情報開示の政策も非常に重要です。
 現在、審査広報に配布により、情報の開示が行われていますが、これでは不十分です。
 この広報では、裁判官の経歴や、審査にあたる抱負などが記載されていますが、彼らが関与した裁判の情報については、「全会一致」などの記載にとどまっているほか、事件名も記されず、その裁判官の考えについては全く触れられておらず、審査基準を全く提供できていません。そこで、私はこの審査広報で、裁判官がどのような事件で、どのような趣旨のもと判決を下したのかを記載することを提案いたします。
 事件名や判決趣旨を記し、国民の注目を集めた事件例えば足利事件などの冤罪事件の裁判で、裁判官がどのような意図で判決を下したかを広く伝えます。
 こうして裁判官の実態を把握した上で審査に臨めば、民意が確実に反映され、信任に値しない裁判官を直ちに罷免できます。

 以上から私は、再審請求制度と国民審査、この2点を順序立てて活用すべきと考えます。
 すなわち、まず再審請求制度を改変し司法の自らの判決に対する固執を防ぎ、真相究明の場を担保し、その上で確定した判決が誤っていればそれを正す機会を十分に活用する。
 その結果やはり国民が現状の司法判断に対して信を置けないと判断すれば、改変された国民審査において、明確な民意で責任を負わせるのです。
 これらの政策で、私たち自身が司法判断の硬直化を防げるのです。


【終わりに】
 国家権力のうち、国民とはあまりにもかけ離れている司法。
 実際、世論調査で「国民の意思が司法判断に反映されていると思う」と答えた人は約2割に留まります。
 しかし、その司法判断は、私たちに大きな影響を及ぼしているのです。
 万が一あなたが冤罪事件に巻き込まれ、無実の罪で裁かれる時、今の司法に身を委ねることができますか。
 硬直化した司法判断のもとで、自らの潔白を証明できますか。
 「司法判断の硬直化」この問題は、早急に解決しなければなりません。
 そして、これを私たち国民が解決し、正義の天秤を担う存在となったとき、我が国は本物の民主主義国家となるのであります。
 ご清聴ありがとうございました。



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