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演題 「百年前の誓い」

弁士 渕上敦之(政1)

「亡国に至らざるを知らざれば、即ち亡国なり!!」
これは足尾銅山における鉱毒事件に際し、田中正造衆議院議員が激しく政府を糾弾した言葉であります。当時、関東の学生はこれに共鳴し、現地への視察団を結成、多くの国民に公害の悲惨さを訴え、政府に事故調査委員会を発足させるに至りました。社会的弱者の存在を発信し、それを世に問う、これが現在まで続く多くの学生弁論界のスタートであります。
そして現代においては、当時未発達であったテレビや新聞といったメディア機関が成長し、不特定多数に同時に大量の情報を流すことによって、多くの国民に対し事件、事故の社会的検証を行うことを可能とさせました。
メディアの報道とは、こうした国民の「知る権利」の下に社会的検証を行うべく、社会の真実を多角的に世に伝えることであります。

しかし、その取材対象がひとたび一般人に向けられた場合、逆に我々の生活を突如として壊してしまう場合があります。それが「報道被害」なのです!!
この報道被害というものは主に実際に報道する際と、それを取材する際の2つの方向から発生します。

まず報道面からの被害ですが、センセーショナルな報道が挙げられます。
報道機関は国民の興味を煽るべく、事件や事故をドラマ的に仕立て上げ、加害者、あるいは被害者のどちらか一方だけの取材しか行わず、事実とは異なる解釈をさせるような見方をした一方的な偏向報道、や、強姦事件の被害者などの知られたくない大切な個人情報を流してしまいます。こうした、報道対象の立場軽視の体制が、実際には事件に関係のない一般市民や、まだ犯人と断定されていない被疑者の段階の人物を、さも本当の犯人であるかのごとく報道してしまう松本サリン事件をはじめとする犯人視報道などにもつながるのです。

続いて取材面からの被害ですが、メディアの過熱取材があります
これは事件や事故などの現場や関係者の家などに、マスコミが「市民の知る権利」を前面に押し出しながら大挙として押し寄せ、関係者や周辺住民の生活を壊してしまったり、執拗に取材対象を追いまわしたりすることです。これにより、和歌山毒カレー事件や福岡一家四人殺害事件などをはじめとする事件では、被害者の家族だけでなく、近所の人々に昼夜を通じての取材攻勢や子供への恐怖感を与える強引な尋問などが実に半年以上に渡って行われてしまっています。

こうした「報道被害」の被害者たちは、精神的に大きなダメージを受けるだけでなく、それまで築き上げてきた社会的信用の低下により、うつ病、離婚、不登校、そして転居やリストラなど生活の崩壊を皆口にしています。
ここで重要なことは、本来真実を伝えるべく公平により多方面の立場からの報道をしなければならないメディア機関が、市民の公平な立場の軽視により、一般人にこうした報道被害が発生してしまっていることであります。つまり、報道被害の問題の根本には、報道の基本原則である多角的見地に基づく報道の危機があり、これを解決しないことには、我々の社会に不可欠な報道が上手く機能しないことになっているのです。

ではなぜ、このような公平性を失った報道被害が発生してしまうのか?その構造についての説明をしましょう。

まず、第一の原因として、そもそもの報道機関における被害防止体制の不備が挙げられます。
報道機関は資本主義の自由競争における多くの企業の中で、競争に勝つために特異性や速報性を求め、現場での過度な取材を要求してしまったり、編集段階での公平性や個人情報などのチェック欠如の状態での報道が行われてしまう環境に常にいます。
確かに即座に変わりゆく情報の伝達は大切なものであり、そうした状況でこそ活発な議論は可能となります。しかし、そうした中で、競争に勝つことを至上課題としてしまい、市民への人権侵害が隠れて行われてしまっているのであります。

そして第2に、報道機関と一般市民との間の力の差の問題があります。
これは報道機関が不特定多数に同時に意見を言えるのに対し、一般市民にはそうした手段が基本的に存在し得ないということであります。これでは一般市民の報道被害に遭われた方が効果的に社会に自らの主張をすることができず、侵害された名誉の回復を行うことができません。

では、こうした報道被害を防ぎ、被害を最小限に抑えるための試みはどういったことがなされているのか?
現状において裁判で被害を救済するという手段は、経済的負担や膨大な時間が必要なことなどから考えて、あまり現実的な手段となっていません。
裁判以外では、BPOと呼ばれるNHKと民放の共同運営による苦情受付機関や新聞社の自社内にある苦情処理部門があります
BPOなどは報道に間違いがあった際に訂正報道を促すことができます。 

しかし、現状でこの試みはまだまだ有効なものとはなっていません。
まず、BPOや苦情処理部門は、その構成員が設立以前の倫理委員会の横滑りやマスコミ御用学者が雇われているため、判断がメディア寄りであることが指摘されています。
苦情処理件数では、BPOに対しての苦情は年間1万5千件以上あり、その中で人権侵害にあたるとされるものは150件程度です。しかし、メディアに実際に裁定が下されたものは、なんと設立以来十数年でたったの40件しかないのです。
こうした対応の遅さは被害救済の遅れだけでなく、組織自体が苦情の現場への壁となってしまい、その間に政府による行政指導を招くなど、政府の介入の問題も絡んでいます
さらに、そうした訂正報道の裁定自体にも強制力がないため、被害者の望む形での訂正報道などが行われていない現状となっています

では、私がこの現状を打破するために必要な解決策を2つ提示してみましょう!!!

まず、1つ目に、報道評議会の創設による報道被害防止体制の確立
続いて、2つ目に、報道被害連絡センターの設置による被害救済の円滑化

まず1つ目の解決策についてご説明しましょう。
これらの問題を解決する機関として、報道機関OB、弁護士、元判事、といった有識者と市民で構成し、放送、新聞、雑誌全ての報道機関を加入義務とする報道評議会をBPOなどに代わって、これを第三者機関とし設置することを放送法の改定などによって定めます。
評議会は何か重大な事件が起こると、過熱取材が起こるかどうかを調べ、必要に応じて現地での記者人数の削減、そしてこれ以上は踏み込まないという取材ラインの決定など、過剰な取材攻勢が起こることを防ぎます。フリーランスの記者もこれを遵守させ、違反した場合、メディア機関はその記事を受け取らないことを義務付けます。
さらに、評議会に報道被害の苦情申し立てが行われ、それが認められれば指定された十分な時間、大きさでの放送時間や紙面での被害者の反論を認めさせます。これまで、市民の立場からの報道が、希薄していた報道に新たな視点を取り入れることにより、報道被害者の言い分が社会に反映されるようになります。
また、一般市民には個人情報を匿名希望する権利を付与され、これを守らない企業には賠償金を含めた謝罪を強制させます。これでこれまでの本人が特定されてしまう情報を防止することが可能となります。
そして今まで述べた評議会での決定に背く報道機関があった際には、全ての報道機関にその機関に対する評議会の非難決議文の放送や掲載を義務付けます。権力や社会環境の監視機関として、社会的正義を至命課題とすることで成り立っているメディア企業というものは、特にこうした社会的信用というものには敏感に反応するため、報道被害の抑止力効果は高いと考えられます。

続いて、2つ目の解決策について述べましょう。
これは全国に、報道被害による苦情を引き受ける機関を弁護士を中心に設置させることです。これにより、評議会で審議をする前の段階で、報道機関と協議をして被害の早期の救済を図り、評議会の仕事を減らすことで運営の円滑化を進めることができるようになります。

以上2点の解決策によって、報道被害の被害者の救済を行うだけでなく、その発生も未然に防ぐことが可能となり、報道の自由も守られることとなるのです。

さて、我々弁論界の先輩たちが足尾の地で社会的弱者を救うと誓いを立て、権力に立ち向かった日から百年以上の月日が流れました。その間、社会ではメディア機関がその役割を担い、多くの人々を救ってきました。しかし反面、メディア自身も新たな加害者と豹変してしまう事態も生じてしまったのであります。
我々は今すぐ、真に市民のための報道を考え、百年前の誓いを再び果たさねばならないのであります!!
ご清聴ありがとうございました。


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