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演題 「Are you happy?」

弁士 成田嵩憲(政2)

「Are you happy?(たかのりは幸せなの?)」私が返答に困るのを見て、
「I am very happy!(ぼくはとっても幸せだよ!)」と、汚れが目立つボロボロのTシャツを着た子どもは、輝いた目でそう言ったのです。

私は今年8月、カンボジアで学校建設をするNPOに参加し、現地でボランティアをしました。冒頭の会話は、現地の少年としたものです。
カンボジアでの1カ月を通して、私には気になったことが1つありました。それは、とても貧しい子どもたちの顔が「明日への希望」に満ちあふれていたことです。しかし、なぜ、貧しい子どもたちが幸せだと言い切れるのか、その時はわかりませんでした。

帰国後、電車にゆられる日々に戻りましたが、そこでもまた気になったことが1つありました。それは電車内の多くの乗客が疲れ切っており、彼らの表情からは「明日への希望」のかすかな光さえ感じ取れなかったことです。
貧しいながらも「幸せだ」と語る笑顔の少年、時間に追われ疲れ切った表情の乗客…。

「どうして、そんなに表情に違いがあるのでしょうか?」そして、「一体、幸せとは何なのでしょうか?」

1人当たりの国内総生産(GDP)を見ても、日本とカンボジアは約20倍もの違いがあり、経済的に私たちは相当恵まれています。カンボジアの街中には、日本により作られた橋、学校が多くあり、また、トヨタ、スズキなど日本の車も多く走っていました。このことからも、日本は豊かな国だと言えるでしょう。

では、「豊かさは幸せと関係しないのでしょうか?」
このことを考えていたとき、ある新聞のコラムが目に留まりました。その内容とは、南アジアの小国「ブータン」についてです。ブータンでは、「人間はものの豊かさだけでは幸せになれない」という考えから、国民総生産ならぬ国民総幸福(GNH)を国の方針にしています。それは経済発展のために、心の豊かさを犠牲にしてはいけないという方針をブータン国王が持っているからです。国王の目には、国内総生産に固執する先進国の政策が貧富の格差を広げているように映っているのです。

では本当に「日本は豊かな国なのでしょうか?」

2006年、国民総幸福を研究しているイギリスのある大学が、社会・経済・心理学的調査に基づいて人生の充足度を計り、「世界幸福地図」を発表しました。この幸福地図によれば、日本は全178カ国中、なんと90位だったのです。幸せという概念に対し、とらえ方は人それぞれ違いますが、ものの豊かさで満たされているはずの私たちは、それほど幸せとは言えないようです。
現在、日本では、労働者の約1/3が非正規雇用者であり、ワーキングプアと呼ばれる1日を生き抜くことに精一杯の貧しい人々が増えております。日本は、心の豊かさだけでなく、ものの豊かさも失われつつあるのです。

それでは「幸せとものの豊かさ、心の豊かさはどんな関係にあるのでしょうか?」
「貧困とは単純にお金がないことではなく、信頼できる家族や友人から助けてもらえず、精神的に参ってしまう状態…。」これは、かつてカンボジアに行った先輩が貧困問題について語った言葉です。
私自身、フリーターの友人がいます。プロボクサーという夢を持ち努力する友人、親からの自立を目標に頑張る友人…。彼らは「お金で買えない価値を求める」があまりに、生活に困っています。
しかし、彼らの表情は「明日への希望」に満ちあふれているように私は感じます。なぜなら、頑張っている彼らの周りには、家族、友人などの多くの支えがあるからです。先ほどのプロボクサーを目指す友人は、「妻の支えがあるから頑張れる」と言っていました。

そう、貧しさはものの豊かさだけではなく、心の豊かさとも関係があるのです。そして、「ものの豊かさ」だけでなく、「心の豊かさ」もまた「幸せ」を形作るために必要な要素なのです。

病気のときに励ましてくれる言葉。
何かをやり遂げた時に、ともに喜んでくれる仲間…。
不安なときに、そっとそばにいてくれる恋人、家族…。

幸せとは、このように「人からの支えを感じた瞬間」に得られるものではないでしょうか?

詩人メイ・サートンは『幸せとは「瞬間」的なものだ。ほとんど毎日、幸せな瞬間なら、少なくとも一度はある』という言葉を残しています。本当に幸せな瞬間が毎日あるのならば、家族・友人からの言葉、協力という心の支えも大切にして、多く幸せを感じたいものです。
私は、私の周りにいる人たちと幸せを分かち合い、そして自信を持ってこう言えるようになりたい。
「I am very happy!」


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