皆さんは、今までどんなふうに生きてきましたか。病院で生まれ、小中高と教育をうけ大学生になったと思います。そして、社会人になり、定年を迎え、老後を過ごすのでしょう。そんな中、一生を通してかかわってくるものは何でしょう。私たちはまず病院で生まれ、病気になったときは病院に行きます。受験の時はインフルエンザの予防注射のため病院に行かれた方もいるでしょう。そして、これからも医療に支えられながら生きていくのです。
医療とは人間が生まれた時から関わりを持ち、最後を迎える時もまた医療に関わりを持つ、一生を通してなくてはならないものなのです。
しかし、医療を自分で確保するには限界があり、国は医療機会の均等を国民に保障しなくてはなりません。しかし、今、国が保証すべき医療機会の均等に問題が生じています。それは、医療に見放された地域、へき地の人々の問題です。
もちろん、医療にはへき地以外にも問題があります。患者のたらいまわし問題や、医師不足問題です。しかし、へき地の住民はたらいまわしできる病院すらない状況なのです。人が少ないという事や地理的な環境もあり、人間にとって医療はなくてはならないものであるのに、医療が整っていないまま、へき地の医療問題は放置されています。
はたして、このまま放置されていて良い問題なのでしょうか。無医地区が多く存在している北海道や青森県、岩手県の高齢化は進み、このような県も含めて日本全体で、今後、へき地で高齢者が多い地域は増加していく可能性があります。また、高齢者こそ最も医療を必要としているのです。だから、ここで、へき地の医療問題は瑣末な問題であるという考えは捨て、医療を受けられないへき地をなくすため国はしっかりと政策をうつべきなのです。
ではへき地の現状はどうなのでしょうか。厚生労働省によると現在、医師がいないため適切な医療を受けられない地域、無医地区は780か所も存在し、そこの住民、16万人以上は医療に見放されているのです。
では、なぜ、へき地はこのような状況になり、医療から見放されたのでしょうか。
その原因としてへき地に来る医師が少ないということがあげられます。
では、なぜ、へき地に医師は来ないのでしょうか。その理由としては3点挙げられます。1点目に常にいなくてはいけないという心理的圧力、2点目に医療技術の研修ができないこと、3点目に多くの患者を一人で看るため仕事量が多くなってしまうということです。これらの原因のため医師はへき地に来ないのに国の政策は、ただ診療所を作り環境を用意すればよいという現場を無視した政策しか取れていません。
また医師がいないため、へき地では大きく2点の問題があります。1点目として救急医療の面で、2点目として普段の診察や回診の面があります。
1点目の救急医療の面での問題とは、急病なったとき手遅れになりやすいということです。へき地では医師がいないため、ドクターヘリが来るまでなんの治療も受けられず、ただ、到着を待っているだけです。呼吸が止まってから1分で救命率が10パーセントも低下してしまう人間にとって、初期治療は1分でも早ければ早いほど効果的なのに、へき地では医師が到着するまで何もすることができないのです。
2点目の普段の診察や回診については回数が少ないことが問題です。へき地では、都会から1,2週間に1回、医師が診察に来ているところが全体の3割にのぼります。そして、回診をし、2、3週間分の薬を一度に処方しています。2、3週間の薬を渡された患者はその間に様態が変化したとしても、それに合わせて薬を変えてもらうことはできないのです。そして、医師が来た時には診察が必要な患者を一日で回らなければならないため、時間的制約があり一人ひとりに割く時間が短くなっています。また、多くの患者の状況を一度に把握する必要があります。このことは患者にとっても医師にとっても大きなデメリットです。
このようなへき地医療の現状と問題点を考慮した二つの政策を論じます。
第一の政策はナースプラクティショナー制度の導入、第二の政策はへき地医療のバックアップ体制の確立です。
第一の政策のナースプラクティショナーとはアメリカで作られた資格であり、この資格を持っている能力の高い看護師は診察、診断、薬の処方を行えます。普通の看護師が大学で2年間専門の課程で学び、国家試験を通過しナースプラクティショナーになります。アメリカではこの制度が60年代から広まり、現在では14万人が活躍しています。また、医療の知識、技術も高く、訴訟大国アメリカにおいて薬の処方ミスなどの大きな訴えが起きていません。この制度を日本用にアレンジしへき地医療に採用するべきなのです。
先ほど医師が来ない理由を説明しましたがナースプラクティショナーならこの理由を回避できます。第1点目の心理的圧力に関してはナースプラクティショナーを中核病院で何人か配置することで問題を解決できます。同じ人が常駐し続けるのではなく都会の病院と同じように、何人かで交代をして勤務することでこの心理的圧力は軽減します。第2点目の医療技術の研修についても、もうすでに専門課程で2年間勉強しているため医師と同じように頻繁にある研修は必要なくなり、新たな研修のみに行けばよくなります。また、研修のときも代役を立てられます。第3点目の仕事量については今まで1週間に1日でやっていた仕事を7日間に分散させるため1日の仕事量は少なくなります。
また、医師がいないことによって起きているへき地の問題も解決されます。1点目の救急医療に関しては、ナースプラクティショナーを常駐させ、救急の場合には初期治療を施すことによって解決されます。これにより呼吸や血管の確保など、へき地にドクターヘリや救急車が到着するまでの初期治療を行うことで患者は救命率の向上につながります。
また、2点目の回診・診察についての問題もナースプラクティショナーを常駐させることによって解決されます。具合が悪くなったときにすぐに診療所に行き軽度の病気であれば、検査、診断、治療、薬の処方を受けることができます。この場合、いくらナースプラクティショナーといえども医師とは異なり高度な医療技術を用いる診療は困難であります。そのため、主な役割としては慢性的な病気に対する薬の処方や、検査をし、インフルエンザなど確実に判断が下せるものについては診断をし薬を処方するといったものがあります。また、常駐することで午前は回診、午後は診療所という時間配分ができ、回診の回数や時間を増やせます。
次に第二の政策であるバックアップ体制の確立について説明します。へき地医療全てを何人かで行うにはそれなりの責任を担うことになり、心理的圧力も高まってしまうかもしれません。この心理的圧力を軽減し、へき地のナースプラクティショナーを増やすためにもバックアップ体制は必要です。そこで、私は、診療所をへき地に近い中核病院の分院という形で運営していくことを提案します。こうすることでナースプラクティショナーは強力なバックアップを得ることができ、たとえば、へき地での自分の診断に不安がある時は、中核病院への相談や移送ができます。これにより、ナースプラクティショナーが自らの技量を超えた治療をやむなく行ってしまうことによる医療ミスなどは発生しにくくなります。
また、研修制度も大きな病院でいくつもの科を集中的に受けることでき、研修によってへき地にかかる負担を削減できます。
この2つの政策の結果、医療機会の均等は達成されへき地の医療は向上します。
「都会の命も田舎の命もみんな同じ命です。そのことを忘れないで医療に携わってください。」
これはあるへき地の住民が研修に来ていた医学生に述べた言葉です。こんな痛切な思いを胸に抱えながらへき地の住民は暮らしているのです。
へき地に住む見放された人々がいなくなることを願ってこの弁論を終了します。ご清聴ありがとうございました。
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